世界的に有名な名トランぺッターのマイルス・デイヴィスは、良く「モダン・ジャズの帝王」と評されます。
長い間「笑っていいとも!」の司会を務めたタモリさんが、マイルス・デイヴィスのことを崇拝していて、何度か来日の時に番組にも来て頂いて共演したり、インタビューする等、なんとも羨ましいことを(職権乱用?)していましたね。(笑)
巨匠でありながら、先鋭的でクール・ジャズ、ハード・バップ、モード・ジャズ、エレクトリック・ジャズ、クロスオーバー、ヒップホップ・ジャズなど、その都度時代に合わせて様々な音楽性を探り、そして新しい境地を次々作りながらジャズ界を牽引した天才的ミュージシャンです。
今回はそんなジャズの帝王、マイルス・デイヴィス自身についてと、音楽についてお伝えします。
マイルス・デイヴィスの音楽とは
マイルス・デイヴィスってどんな人
出身地 :アメリカ合衆国イリノイ州オールトン
生年月日:1926年5月26日
出身校 :ジュリアード音楽院に入学するも中退
祖父はアーカンソー州に広い土地を持ち、父は歯科医、母は音楽の教師という裕福な環境で育ちました。
In 1935, Davis received his first trumpet as a gift from John Eubanks, a friend of his father. He took lessons from “the biggest influence on my life,” Elwood Buchanan, a teacher and musician who was a patient of his father.
※出典Wikipedia
訳すと、『1935年、デイヴィスは父親の友人であるジョン・ユーバンクスから最初のトランペットをプレゼントとして受け取りました。
彼は「私の人生に最も大きな影響を与えた」と後に言う程の、父親の患者であった教師兼音楽家のエルウッド・ブキャナンから演奏を習いました。』
とあります。
音楽に携わる最初のきっかけは”トランペットのプレゼント”だったんですね。
この時代、アフリカ系アメリカ人でこんなに裕福で、行きたい学校にも行けて、自分の望みで音楽を始めるなんて、とても恵まれた環境でした。
高校在学中の15歳の頃からクラブで演奏するようになり、本格的にJAZZ音楽にのめり込むようになります。
18歳の頃、マイルスは運命的な出会いを果たします。
セントルイスにビリー・エクスタイン楽団が来た時、病気で休んだ第3トラッペッターの代役を務める機会に恵まれ、「チャーリー・パーカー」や「ディジー・ガレスピー」との共演をすることが出来ました。
チャーリー・パーカーもディジー・ガレスピーも後世に名を遺す名ジャズ演奏者です。この若さでこんな軌跡のような共演に出会えたマイルス。
この時のことを「バード(チャーリーのニックネーム)とディズ(ディジーの短縮形)の演奏を聴いてても何が何だかさっぱりわからなかった」と語っているのですが、この時にはまだその音楽の感性に差があったという事です。
彼はその後直ぐにニューヨークに出てジュリアード音楽院に入学するも中退、後にパーカーを探し当て、1年間同じ部屋で暮らしながら演奏を共にします。
探し当てるのも凄いですが、やはり出会いは運命で、ここでの1年間が彼の音楽の基礎を作り、才能を一気に花開かせることになりました。
パーカーの元でのビバップからキャリアは始まりましたが、マイルスは新たな可能性を模索しだし、ソニー・ロリンズやアート・ブレーキー、セロニア・モンク、ジョン・コルトレーン、ビル・エヴァンスといった名だたるジャズ演奏家達と共演しては、ハード・バップ、モダン・ジャズ、スウィング、また60年代の「黄金クインテット」を経て、更にはファンクやエレクトリック期、1980年代はフュージョン、ポップ・ジャズ色を強める等、晩年も模索と挑戦を続けました。
同じところに留まることを嫌い、新しもの好きだったのでしょうか。
「飽くなき探求心」を持って次々と新しい試みをしては、新しい音楽の創作をし、常にJAZZ界を牽引し続けていました。
マイルス・デイヴィスの音楽とは
彼のトランペットの代名詞と言える程、特徴的な演奏は、「ミュート」を使って演奏することでしょう。
色んな種類のミュートがありますが、マイルスのトランペット・プレイは、1940年代後半〜1950年前半は「カップ・ミュート」を中心に使用、1950年代中頃からは「ハーマン・ミュート」(harmon)を頻繁に使用するようになりました。
特にマイルスは独特の寂れた音色が特徴の「ハーマン」を愛用していたため、世界にその名を広く知られるようになりました。(ハーマンはメーカーの名前)
特徴としては、ビブラートをあまりかけず、跳躍の激しい演奏などといったテクニックにはあまり頼らない演奏=ノン・ヴィブラート奏法と言われました。
最初はディジー・ガレスピーのように素早く高い音をヒットさせるようなバップトランぺッターを目指しましたが、チャーリー・パーカーと毎晩のようにセッションするうちに、自分には向かないと気づいたのか、独自の奏法へと変更したようです。
彼の編み出した奏法は、中音域がトランペットにおいて最も美しい音が出る、として多用し、音から音へ移動する場合、半音階を用いていました。これらの奏法が「リリシズム」に例えられることもあります。
そんな彼の最も有名なアルバムと言えば、やはり“Kind of Blue”でしょう。
“Kind of Blue”から、まさに王道ですが「So What」をおススメします。
ちょっとしわがれた音色で、あまり抑揚はなく、淡々と演奏されます。
サックスを吹いているジョン・コルトレーンの演奏中になんと一服する場面も…。
1959 年発表の作品。
ジャズの名盤・最高傑作であり、モードジャズを代表する作品です。
まとめ
『ジャズ界の帝王』(特にモダンジャズ)と呼ばれるマイルス・デイヴィスは「飽くなき探求心」を持って次々と音楽の可能性を模索しては、新しいジャンルを作り、常にJAZZ界を牽引し続けた偉大な人です。
シンガーとトランぺッターの二刀流 「ルイ・アームストロング」
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