八村塁は英語喋れないし苦手だった!今は英語ペラペラで勉強法は?

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八村塁選手は、現在NBAで活躍する日本人バスケットボール選手で、ロサンゼルス・レイカーズに所属しています。

2m越えの長身で、父親はアフリカのベナン出身、母親が日本人のハーフです。

アメリカで活躍する八村塁選手ですが、もともと英語が喋れないし、苦手だったことを知っていますか?

しかし、現在は英語ペラペラで、チームメイトに絶賛されるほど上達しているようです!

英語が喋れない八村塁選手が、ペラペラになるまで上達した勉強法はどのようなものだったのでしょうか?

プロのバスケットボール選手になる為に、アメリカに渡るまでの英語の勉強法なども気になりますよね。

そこで今回紹介するのはこちら。

・八村塁は英語喋れないし苦手だった!
・八村塁は今は英語ペラペラで勉強法は?

 

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八村塁は英語喋れないし苦手だった!

八村塁選手。
めちゃくちゃカッコいいですね!

 

八村塁選手の父親、ザカリ・ジャビルさんはアフリカ、ベナン出身で、母親のまきこさんは日本人です。

ベナンの公用語はフランス語ですが、父親のザカリ・ジャビルさんは英語、日本語など含め7カ国語を話せるそうです。

実際、エジプトの名門カイロ大学に奨学金で留学するなど、とても賢い方なんでしょうね!

母親のまきこさんは富山の小学校で外国語講師をしていました。

また、英会話スクールで講師をしたりフランス語教室でフランス語を教えたり、さまざまな仕事を行っていたようです。

外国語に触れる機会がありそうな家庭環境ですが、家では日本語で会話していました。

そのため多くの日本人と同じように、英語を勉強したのは学校の授業が始まってからでした。

八村塁選手が英語を喋れない理由は、意外にも日本人と同じ境遇だったからなのですね。

また、子供の頃の八村塁選手の英語の成績は悪かったようで、中学時代の英語の成績は10段階評価の2でした。

NBAで活躍する選手が、もともと苦手で全く英語を喋れなかったとは驚きますよね!

一方、八村塁選手は幼少期からスポーツにおいて秀でていました。
幼少期は陸上や野球に取り組み、運動神経は抜群で、イチロー選手に憧れていたようです。

野球部ではピッチャーをしていたとき、剛速球すぎて取れる同年代キャッチャーがいなかったという驚きの逸話もあります。

幼少期からやはり運動神経抜群で只者ではなかったのですね!


バスケットボールを始めたのは中学生の頃です。

最初は野球部に入ったようですが、運動神経が抜群なことや、中学で既に身長180cmだったことからバスケ部の勧誘を受けバスケ部に入部します。

初心者で入部した八村塁選手でしたが、メキメキと上達し中学3年生のときには、全国中学生バスケットボール大会で準優勝するなど華々しい結果を残しました。

高校はバスケットボールの名門仙台大学付属明成高等学校に入学。
高校1年生から3年生までウィンターカップに出場し、すべて優勝、見事3連覇を果たします!

八村塁選手は1試合平均20点獲得するなど、明成高校バスケ部の中心人物として大活躍しました。

そして、八村塁選手の目標は「NBAでプレーし、東京オリンピックで活躍すること」となり、アメリカの大学スポーツ協会NCAAでプレーすることが一番の近道と考えました。

その後、アメリカ、ワシントンにあるゴンザガ大学に見事進学し、アメリカの大学でバスケットボールをプレーすることになります。

しかし、当時英語を喋れない八村塁選手は、コミュニケーションをとることに苦労したようです。

いくらバスケットボールに秀でていたとはいえ、アメリカへ渡りコミュニケーションが上手く取れない中で生活するのは、とても大変だったことでしょう。

 

八村塁選手のプロフィールを紹介します。

プロフィール
名前  :八村塁(はちむらるい)
出身地 :富山県富山市
生年月日:1998年2月8日(25歳)
出身校 :富山市立奥田中学校⇒仙台大学付属明成高等学校⇒ゴンザガ大学(ワシントン)
身長  :203㎝
体重  :104kg
家族  :父ーザカリ・ジャビル(ベナン出身)さん、母ー麻紀子(まきこ)さん、弟ー阿蓮(あれん)さん、妹ー安美菜(あみな)さん、妹ーまりさん
ポジション:フォワード
血液型 :A型

 




八村塁は今は英語ペラペラで勉強法は?

現在、八村塁選手は英語ペラペラで、以下のインタビューではネイティブのように聞こえます。

 

とても英語が喋れなかったとは思えないですよね!

八村塁選手は高校入試の際に、外国人講師に個別指導を受けるなど、アメリカに渡る前まで猛勉強をしたようです。

しかし、アメリカに渡ってからはコミュニケーションがとれず苦労しました。

次第に無口になり、監督の指示が分からず、ただ笑うことしかできなかったようです。

バスケットボールはチーム戦なので、コミュニケーションがとれないと試合にも影響されることでしょう。

八村塁選手には通訳が付いていましたが、なるべく日本語を話さないでと依頼し、バスケットボールの練習の他、英語を本格的に勉強します。

1年生の時には、休みを取らずに英語を勉強するなど、熱心に打ち込みました。

八村塁選手は、ラップやNetflix、ゲームなどで楽しみながら英語を習得する勉強法を実践しました。

チームメイトによると、ラップを良く聴いていて、21サヴェージやドレイクが好きだったようです。

また、チームメイトとテレビゲームをしたり、テレビ番組を見たりなど、八村流の勉強法で英語力を高めていきました。

興味を持って英語を学ぶことで、効率良く英語を身につけていったのですね!

その結果、1年生ではほとんど喋れなくて無口だったのが、2年生ではだいたい分かるようになり、3年生ではほぼほぼ理解でき、ペラペラに喋れるようになりました。

八村流の勉強法で、約3年で英語を習得したとは努力の賜ですね!

チームメイトともコミュニケーションがとれるようになり、積極的に関わるようになったことで、バスケットボールの上達にも繋がったようです。

ゴンザガ大学チームメイトのジョシュ・パーキンスは「僕よりも上手に英語を話すよ」と語っています。

 

とてもペラペラに聞こえますよね!

現在英語がペラペラでNBAで活躍できているのも、大学までの英語習得の努力があったからなのでしょう。

 




まとめ

今回は現在、NBAのロサンゼルス・レイカーズで活躍している、八村塁選手がどのように英語が喋れないことろからペラペラになっていったのか、勉強法などを紹介していきました。

父親がベナン出身のハーフではありますが、家では完全に日本語のみだったなど、当時英語が全く喋れない状態でした。

見事ゴンザガ大学へ進学した八村塁選手は、入学直後は全くコミュニケーションがとれていませんでしたが、好きなラップを聴くことや、Netflixを見るという勉強法で、メキメキと英語力を上げていきました。

バスケットボールと英語の猛勉強の両立は、ただならぬ努力があったことは間違いないですが、NBAで活躍する選手になるという大きな目標があったから、短期間で英語も喋れない状態からペラペラになるまで上達したのですね。

その勉強法の結果、約3年で英語がペラペラになり、チームメイトともコミュニケーションがとれるようになり、現在ではレイカーズの中心人物としてNBAで躍進しています。

今後も八村塁選手の活躍に注目していきたいですね!

 

 

 

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